かねてよりアップルは世界中で愛されているものを捨ててきた。
それは、何度も世界に大きなとまどいも痛みも与えてきたが、
革新のためには古いスタンダードを捨てる必要があった。
折りたたみの携帯電話が主流だったころは、
指紋クリーナーを兼ねたストラップがあったように、
画面を指で触ったり指紋がついたりすることに忌避感があった。
そんなころにアップルはまるで逆を行くかのように
タッチパネル式の iPhone を発表した。
同じように、1960 年代から現代にいたるまで、
世界中で使われ、愛され続けてきたフォント「Helvetica(ヘルベチカ)」と
その系譜である「Helvetica Neue(ヘルベチカ・ノイエ)」から脱却した。
それが、iOS9 から採用された
「San Francisco(サンフランシスコ)」フォントだ。
一見、大した違いもないので、
吐故納新と呼ぶには過言と感じるかもしれないが、
あのアップルが 20 年以上ぶりにわざわざ開発したフォントであり、
それだけの労力を割く意味があるはずなのだ。
20年以上前にアップルが開発したフォント「Chicago」
このデザインが懐かしい人も多いだろう。
紀元前1世紀の、現在のスイスに居住していた
ヘルウェティイ(Helvetii)族に由来して、
古代のスイスはヘルヴェティア(Helvetia)と呼ばれていた。
つまり、Helvetica というのはスイスそのものを指す。
だが Helvetica は古すぎた。
Helvetica は 1957 年に、
Helvetica Neue は 1983 年に
スイス人デザイナーによって開発されたフォントであり、
小さなディスプレイ上で見ることなど想定されていなかった。
2014 年、それに対抗して新たな時代の潮流を築くかのように、
アップルはシリコンバレーの地の名を冠した
「San Francisco」を生み出した。
Apple Watch のような小さな画面でも視認性を損なわず、
Retina Display のような高精細な画面でも粗が立たないように
新しい時代に合わせてデザインされたフォントである。
一度浸透した規格や通念を変えることは、
非常に難しい。
アップルをもってしても、
切り捨てたはずの英断を撤回する羽目になったケースもある。
結局のところ、
切り捨てたことに対して責任が持てるかどうか。
切り捨てた理由について納得ができるかどうか。
それさえたがわなければ、
人はもっと自由な発想を語り、
実現させることができるはずだ。